あがり症・どもり癖を改善する!【トップMBA式あがり症・吃音改善プログラム】教師も当て方はそれぞれで、前の席の生徒から後ろへと順々に当てていく先生もいれば、ランダムに指名する先生もいます。
順々に当てていくのならば、まだ心の準備、或いはどの問題を当てられるか等、おおよそ検討は付きます。
しかし運の悪いことに、小学校の6年間、多くの先生が、ランダムに生徒を指名する類いの先生だったのです。
「じゃあ、これは誰にやってもらおうかなぁー、いま目があった高野!」
目何て合ってない! いつもうつむいているのに…
パニックになりながら、必死で問題の答えを考えます。
その間支配する沈黙。沈黙の中、響き渡る時計の秒針の音は、更に、わたしのパニックに拍車をかけます。
まるで、「早く答えろよ馬鹿」「こんな問題で黙ってんじゃねーよ」等と、無言で圧力を加えられているようで、気ばかりどんどん焦って行きます。
家で解く分にはスラスラと解ける問題なのに、思考はショートし、身体中からはじっとりとした汗をかき、途方のない難問のように感じられます。
「あ、あの……」
「うん? どうした? 判らないか?」
黙って、こくりと首を縦に振り、わたしはいっそう下にうつむくしか御座いませんでした。
「昨日の復習なのに判らないかー。きちんと勉強しろよ!」
先生のその言葉は、わたしへのとどめの一言でした。
背後から思いきり、矢やら刃やらで突き刺されたような、ショックな一言…
とてつもない羞恥心で頭に血が昇り、今おかれている現実が悪夢だったらどんなにいいだろう、そうしたら、目覚めればいいだけのことなのに…
そんな風に考え目をつむり、再度目を開け、やっぱり広がるのは変える事の出来ない現実なのでした。
元来人見知りだったことも手伝って、わたしはみるみる内気になっていき、結果、小学校を卒業する頃には、友達と言える友達等いなくなってしまったのです。
中学校も高校も、とにかく苦痛でした。
出席確認や授業中は勿論のこと、中高のような思春期になると、男女とも、お互いを意識し始める年頃です。
わたしは容姿がさして優れているというわけでも御座いませんが、中学高校に入り、女子から声をかけられる機会もありました。
小学校でのトラウマで、ひどく内気で、あがり症になっていたわたしにとってそんなお誘いは恐怖以外の何物でも御座いませんでした。
でも女の子と付き合えば少しは自信つくかも!?
ともすれば、こんなことを考えて告白をOKしたことがありました。
そうして当然デートに行ったりするのですが、そのデートは、自分のトラウマに更にトラウマを重ねるだけなのでした。
あがってしまうと、日常会話ですら上手く出来ません。例えば、 「高野君って趣味はある?」 「えっ!! へへっーえーっと、うふっ、ーん…」 と言いながら、引きつった顔をぎこちなく痙攣させながら、気味の悪いニヤニヤ笑いをしたり、或いは、 「今何時?」 と時間を聞かれ、わたしは腕時計をつけていて、それを知っているから相手が聞いてきたというのに、何故か 「えっ!? と、わかんないや」 と上ずった声で返したり、とにかく支離滅裂で、ずっと緊張しっぱなしで、本当に、一日が何十時間にも感じられるようでした。
また、中学生の時、わたしは常日頃大声を出していればこのあがり症やどもり癖が良くなるのではと思い、柔道部に所属していました。
日々掛け声が飛び交う中、わたし自身も大声を出しているつもりではいるのですが、毎日のように、顧問や先輩に 「高野! やる気ないなら辞めろ! 出て行け!」 等と怒られていました。
それでもなんとか大声をあげ、やる気を見せたりもしたのですが、授業等、通常時のひどいあがりは改善致しませんでした。
当然、女の子とのお付き合いというのも、散々なものでした。
また、女の子とのエピソードでは、後日談があります。
わたしに興味を持ってくれた女の子も、いざデートをしてみると前代未聞のどもり男だと分かった瞬間、わたしは即フラれました。
それだけで十分、大きなショックを受けたのですが、更に、地獄に突き落とされるような酷い出来事があったのです。
ある日、昼休みを終え、一人でいることの出来る図書室から教室へ戻ると、教室内から、女子達の会話が聞こえてきました。
「高野君と付き合ってるんでしょ? どう?」
「もう別れたよ」
「うそー!? てゆーか早すぎでしょ!」
「うん、だってきもいんだもん」
「えーどこが? やさしそうじゃん」
「全然。おどおどしてて、顔真っ赤にしてて、何言ってもワケ分かんないことばっか言ってくるし、マジきもいし無理」
「あっはははは! うける!」
教室に入れるはずもなく、それを聞いたわたしはその日、一日を保健室で過ごしました。
不快感や怒り、何に対するか判らない憎悪等が、ごちゃごちゃに入り混じり、腹の内で渦巻いているのを感じます。
布団をかぶり、その中で声をかみ殺して号泣しました。
一体自分が何をしたっていうんだ! だったら最初から告白なんかすんな!もう誰とも関わりたくない!
心の中でそう慟哭し、ただただ口からよだれを垂らしシーツを濡らすのでした。
嫌な思い出ばかりの学校でしたが、不登校はになり退学するまではいかず、何とかがんばって通っていました。
しかし、それまでのあがりや吃音にプラスし、わき見のくせや人の目を見ることが出来ない症状が出るようになりました。
加えて、自身の容姿に対し極度に恐怖を抱く症状まで出てきて、精神科へ通うことになりました。
診断の結果、薬やカウンセリング等の治療を受けることになったのですが、どれだけ通院しても、ちっともよくなる事は御座いませんでした。
薬もきちんと飲んでいたのですが、そのせいか頭がフワフワしたり、突然嘔吐感が襲ってきたりで、症状はいっこうによくならないのです。
むしろ、治療前よりも悪くなっているのでは? と思うこともしばしばでした。
医者自体も恐怖の対象なので、行くことすら毎回嫌でしたし、医者ともまともに会話できた記憶は御座いません。
それでも、がんばって自分の問題を相談しても、 「気長にやっていきましょう」 の一点張り。
内臓疾患等とは違い、明確に病気と定義されているものとは少し異なります。
気長にやっていけば、確かに先生の言うとおり、いつかは良くなるのかもしれません。
しかしわたしのあがり症や吃音というのは、小学生、或いはもっと前からなのです。
それが良くなる何て、考えられないことでした。
それでも通い続け、時には薬を変えられ、またある時は紹介されたカウンセラーのセラピーも受けましたが、症状が改善されることは御座いませんでした。
どうしても良くなってる感じがしない、と先生に言っても、やはり、壊れた蓄音機のように「気長に」を繰り返す先生。
「気長に」という言葉は、「もうこれ以上は無理です、手の施しようが御座いません」という言葉にわたしの中で次第に変換されていきました。
部活に医者、何をやっても、これは一生治らないんだろう。
女子にはきもいと馬鹿にされ、どんどん性格は暗くなり、出席の返事すらまともに出来ない。
自分でもきもいと思うわ。こんな社会不適合者、死んだ方がいいんじゃないか?
医者にも希望を失ったわたしは、漠然と「死」を考えるようになりました。
きっと社会に出ても、あのチック野郎とか、どもりとか、ゆでだこ等とあだ名をつけられ、後ろ指をさされるんだろう。
本当に辛く、悲しく、孤独な中高生時代でした。
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